この内容は、私の一番の『想い』です。
NATSUKOが、目指すトコロ・・・と、なります。
『妊娠』『出産』『育児』・・・女だけができること。
(この育児は、授乳中を主にお考え下さい)
その前に・・・ちょっと、えっちなお話になってしまいますけれど〜
まじめに書くので、真剣に読んで下さいね^^
『春画』(浮世絵?)を思い浮かべて下さい。
女性は、恍惚とした顔をしています。
男性は・・・微笑んでいて、ゆとりさえ感じさせてくれますよね。
女性は、脳から〜全身でいき、
男性は、部分だけでいく。
私は、このsexの場面そのものの“男と女”の有り方が、
『妊娠』・『出産』・『育児』の場面の(背景の)、理想的な『姿』だと思っています。
もう少し、判り易く言えば・・・
sexって、今のように、屋根や、壁、鍵の無い時代から営まれてきています。
そんな時代でも、女は、全身でイクことができました。
愛する人に守られて、全てを任せられるしあわせ・恍惚感。
そんな時、鍵も無い・屋根も無い時代では、
後ろから、敵が襲って来るかもしれない。
他の雄が、自分の女を狙って来るかもしれない。
でも、そんな時でも、
男は、自分の女を守る為に!後ろから敵に襲われるコトのないように!
その為に、男性は、脳までイカないように作られている。。
男性に守られてこそ、女性は、全てを任せ、集中するコトができる。
そのままの『安心感』の中で、妊娠・出産・育児(授乳)が、できるからこそ、
母性たっぷりで、子育てができるのだと、私は思っています。
平等を口にしながら・・・
「女とは!」「母親とは!」などと、教えを説く前に、
先に、妊娠・出産・育児中の女性を守ってあげたい☆
どっぷりと集中できる環境をつくってあげたい☆
そうしたら、自然に・・・本能としての『母性』は、溢れ出てくる筈☆
そして・・・
『母性』を土台に育った男こそが、『父性』を持っている☆
妊娠中の女性に、お金の苦労をさせたり、
浮気の心配をさせたり、
姑との、女同士の闘いをさせたり〜〜〜
って、
今じゃ、当然の如く、聞く話ですよね。
しかも、
お産の後・・・誰も助けて(手を貸して)くれる人が居ない。。。
親でさえも。
「仕事があるから、みてあげられないよ」と言い捨てる親も多いし。(涙)
そんな情緒不安定の中での、妊娠・出産・育児なんて
本当に、苦しいし、哀しいものです。
ひと昔前は、それでも、先輩の女性が、
温かい声をかけてくれ・優しい手を貸してくれたりもしていました。
守られず・闘いながら〜子育てをしているから、
本物の『母性』なんて、溢れて出てくる筈もなく。。。
私の周りを見てみても、
母親が、自分の息子をペット化してしまってるし。
夫への満たされない思いを、知らず知らずのうちに、
息子を代償にして、育ててしまっている。。
そんな風に育ってしまった男性に、『父性』が宿る筈もなく。。
女を守れない男が増えていく・・・
悪循環。
繰り返されていく。。。悪循環。
「女なら、子供を産め」って意味ではないです。
そんな気持ちはないので、誤解しないで下さいね。
産む・産まない は、自由です。
産まない自由がある! そう思っています。
そして
そんな狭い意味じゃなく・・・
もっともっと広い『環境』として!
『妊娠』『出産』『育児』の女性を守れない社会が・・・
今の日本の環境が、とても哀しく思っています。
最近・・・
子供を連れて喫茶店に入ってくると、お店の人って、ペット連れと同じ席に案内したり〜
電車の中に、子供連れママが乗ってくると、何人かが「チッ」って舌打ちしているのを。。。
何度か見かけます。
これって、異常じゃないですか?!
こんな環境の中で子供を育てていて・・・ふっと虐待しちゃうって。。。
私も紙一重だったから、他人事だと思えない気分になったりします。
ここで、ちょっと私の話をしますね。
今年、大学受験だった次男がお腹に居る頃のことです。
長男の出産の時は、実家に帰りました。
長女のお産の時は、「長男の嫁が、何度も実家出産は恥だ!」とのことで
お姑さんが来てくれました。
そして、次男の時・・・
「実家に帰るな」と
「姑は体が弱いから、行けない」と
「息子(主人のこと)を、使うな」と
「昔は、家でお産婆さんを呼んで産んだものなのよ」と
義父母からのお達しがありました。
(ちなみに、お姑さんは、三人とも病院で出産されてます)
私のお腹がポンポコリンの時です。
主人に相談したら、
仕事が急に忙しくなったらしく、一週間ほど帰ってこなかったと思います。
「産んじゃいけないの??」
「どうやって産めばいいの???」
と、頭の中でグルグル。。。
その頃、私は、高速道路でトラックに飛び込むことばかり考えていました。
ただ、行動できなかったのは、
長男・長女をどうするか!!が、決められなかったから。
「連れて行こう」
or
「置いていこう」
・・・・・・・
どっちにするか悩んでいたら、
お友達から電話がかかってきて、
「子供・二人連れて、泊まりにおいで〜〜〜」と。
断ろうとする私の声を遮るように
「すぐ、おいで!!」と、命令調^_^;
捨てる神あれば、拾う神あり☆
遠くの友達だったんだけど、
そこから、またまた田舎に連れて行かれ、小高い山を登って、
変なトコロに連れて行かれました。
そこはね。
おばあちゃんが一人で営んでいる『産後安静保養所』ってトコロでした。
日赤病院の産婦人科婦長を勤め上げた女性が、
定年退職し、退職金で、田舎の山を買って、
客室5部屋くらいだったかなぁ〜
そんな保養所をつくったのですって。
私が行った時が設立されて何年目だったのかは聞いてないけれど。
当時で、おばあちゃんは、74歳くらいだったと思います。
赤ちゃんを連れて泊まれるトコロなのです。
上の子も、預けるトコロがなければ、子供一人当たりプラス1000円でOKだったのです。
(母子は、1日7000円でした)
三食ついて、赤ちゃんの沐浴は、おばあちゃんが入れてくれます。
洗濯とお掃除は、パートのおばちゃんが来てました。
お料理は、おばあちゃんが作ってくれます。
産婦人科の婦長さんだもの。。。
悪露の相談もできたし〜
次男の目・・・「粘膜が弱いみたいだから、帰ったら、病院へ連れていって診てもらいなさい」
って、教えてくれたのも、このおばあちゃんです。
友達が、此処を見つけて、すぐ連絡くれたのです。
「出産入院の1週間くらい、ウチで二人(長男・長女)みてやるよ^^」って。
(実際は、ウチの親が預かってくれましたけどvv)
一気にトラックが吹っ飛びましたvv
年月が経って・・・行ってみました。
今も、そのままの建物です。
私が苦しんでいる時、こんなおばあちゃんが居たのです。
私・・・こんなおばあちゃんになりたいのです。
いえいえ、おばあちゃんになる迄、待ってなんか居られませんvv
私。。。
この『産後安静保養所』をつくろうと思っています。
それが、私の夢です。
私の産後安静保養所の青写真は、また別に書きますね^^
このタイトル・・・ずっと以前に書いていて、出せないままでいました。
亡き・義父母の悪口に読めちゃいますよね。
でも・・・
このHPを始めての年末&年を越して・・・
義父母が続いて亡くなり。。。
そのまま、古いtoday's massage にも書いていますが、
亡くなる前に、義父から「ありがとう」の言葉をもらって^^
14年間のいろんな苦しさから解放され、全て、私の中で水に流せています。
義母も義父も、私の尊敬する人となっていること・・・付け加えておきます。
ただ・・・私の“感謝のおばあちゃん”の話を書く為に、
その当時の話を、そのまま書きました。
結果良ければ、全てヨシvv です^^
私は、『恨み』・『辛いこと』をベースに生きるのではなく
『感謝』をベースに生きることを選択していますvv