脱!抗がん剤

私「先生、もう抗がん剤、辞める!」
先生「どうして? お金? それとも、入院(子供が小さいから)が、無理?」
私「ううん、自分でやってみる。・・・でも検査は先生に、して欲しい」
先生・・・カルテの検査値を見て・・・「うぅぅぅん  じゃあ、辞めてみて3ヶ月様子を診よう。3ヶ月辞めてみる?」と。

怖かった。
あの頃は、抗がん剤を辞めると、医者に縁を切られる時代。
患者が、自分の意思を持つことを嫌う医者ばかりの時代だった。
でも
私の主治医は、声を荒げることもなく、気分を害している様子もなく
いつもと変わらない穏やかなトーンの声のままだった。

先生の口から
「じゃぁ、近くの病院を紹介するから、これからは、そっちに行って!!」という言葉が
出ないか?????と、そればかり考えていた。不安だった。
だから
「先生に、診て欲しい」と、敢えて、言葉を添えた。

受け入れてもらえた。
1年3ヶ月で、抗がん剤を辞めた。


その頃は『告知』なんて論外。
治験薬も(勿論、抗がん剤も)、医師の思いのままに使用されていた。
だから、癌患者は、自分が使われているのが、認可された薬なのか?治験薬なのか?
まったく知らされない。
治験薬の大量投与・誤使用で死んでも、みんな「癌で死んだ!」と思っているようだった。
本人は『癌』だということを知らされないまま・・・
癌に気付いても「家族が、思いやりの嘘をついていてくれているのだから」と
騙されたフリをして、死んでいっていた。
最後まで『癌』だと気付かず死んでいっている人は居ない。


少し、その当時の法的背景を、見てみますね〜
(今でも、進歩は見られないけれど)
日本の医療は・・・
厚労省が認めた薬&医療行為をして、患者が死んでも、医師の免許には、なんら影響ありません。
勿論、民事・刑事においても、お咎めなし!
反対に、病院に行っていながら、医療行為をしなくて、
患者が死んだ場合、医師は責められることになります。
(実際、治験薬か?認可薬か?を知らされないから、治験薬でも同じ扱いのようでした)

後、平成7年、
愛知県がんセンター内で、治験薬での治療中に患者が死亡・・・の遺族からの裁判で、
同病院の福島雅典医長(現・京大教授)が、
「担当医が、プロトコール(治験の実施要綱)を無視した過剰投与の為に毒性死した!!」と
患者側に付き証言し、認められる。乾杯☆
でも、命は還らない。

同じ頃、
国立がんセンターが「抗がん剤は、告知後!」(同意・署名も必要)と発表した。

平成7年4月より、国立がんセンターが
「臨床試験は患者に文書で説明する」という新しいシステムを導入した
(それから、やっと徐々に、治験薬の審査のシステムが充実していきました)



話を元に戻して・・・私の話。
私の治療開始時は、8種類の薬を12錠と、1クール5日間の点滴。
勿論、薬名など知らされない。


私の癌は、10万人に1人。仲間が居ない。
やっと見つけても、サッサと死んでいく。
足を切断してまで癌を切除しても、3ヵ月後には、お墓に入っていた。
転移・進行が思い切り早い!
仲間を捜す方が、怖くなる。
だから・・・か、元々、文字好きだったけど・・・

私は『医者からもらった薬がわかる本』を、毎年、更新して買っていた。
それと、アデル・デービスの『健康家族親書』が愛読書。
最初の1年間に300冊の本を読んだ。闘病の本も。
(闘病者の本からは『負けて死んでいく者』『勝ち抜いて元気になる者』・・・の生きる姿勢を学んだ。
そしてウダウダ泣き言言って、生き続ける人種も)


「2時間待って3分診療」と愚痴を言ってる患者ばかりの中、
折角、2時間も待っているのに、医者に聞きたいことを、箇条書きにしている人を見たことがない。
医者から聞いたことを、メモしている人も見たことない。
胃カメラを飲んでも「気持ち悪かった〜」と、また愚痴!!
自分の胃の中を見ている人を・・・聞いたことがない。
エコーの検査も。超音波の検査も然り。
そんなに、自分の体に興味がないのか?!

私は、自分の体が愛おしくてしようがなかった。
自分の体が傷ついていくのが、可哀想でしようがなかった。
体の悲鳴を、自分自身だけは、聞いてやりたい☆と思っていた。

8種類の薬を、ひとつひとつ調べた。
私の抗がん剤は、他の癌では認可になっていない。
認可されてまだ、4年だったから、データもなかった。
(その後、濃度を変えて、悪性リンパ腫等にも認可になったようだ)

その時、主治医に問い詰めた
「私が生きられる可能性は何%???」と。
主治医の答えは
「自分に(再発・転移)出れば自分にとって0%。自分に出なければ自分にとって100%」
フッザけた答えだ!!と憤慨した。
でも、その通りなのだ。目から鱗が落ちた。

広義な科学的な裏づけの元(狭義な医学的裏づけの反)に・・・
ひとつひとつ薬を減らしていった。
簡単だった。

12錠の薬の内、経口投与の抗がん剤が1錠保険が利いて800円。
点滴が1クール10万円。
数多くの検査の中のひとつ・・・ガリウムシンチが3万円強。
他に・・・・・忘れた。
癌には、免除も減額も補助もない。(再生不良性貧血だけは特定疾患になった??)
(告知して欲しくない!と言う人が居る限り、厚労省は、癌患者の補助を話し合わなくて済むから御の字だろう)

ついでの話。
私が癌になった前年、家を建てた。
住宅控除を受けた。
200万円を越える高額医療費の申請をしたけれど・・・
そこから、丸々、住宅控除で受け取った金額を引かれて、
受け取った額は12,000円。
「癌になったらサッサと死ね!と国が言ってる」なんて、被害妄想になっていたっけ。。



・・・話が反れてばかり。。。
反れたついでに・・・(思い出して、かなり腹が立ってる)
下の世話をされている時。
新米看護婦(敬称略)が、導尿のドレンを入れられない。
何度も何度も、間違って、隣の穴に突っ込む。
とうとう「いや〜ん」と言って、先輩の看護婦さんを呼びに行った。
大部屋のカーテンを開け放したままで。
こちとら。。。動けない。
大股開きで、下着も着けず、膝を立てたまま。
廊下を歩く面会人と目が合う。相手の方が、目を逸らしてくれる。
当時32歳。女ざかり。サイテーな瞬間。
いや。。長い時間だった。
タダで見た人〜今からでも、お金チョーダイ(^_-)〜☆


早く、人間になりたい☆
そんな思いばかりだった。


自分の体がどんな状態か?を把握し、
細胞学的に、マイナスをやった分だけ、プラスを入れてやる!
ただ、それだけのことだった。

薬・検査・手術・放射線・・・そんなモノで、体(細胞)を作れる筈がなかったのだ。
検査も選んだ。その分、知識もつけた。
CTなんか受けない! MRIを選択。
レントゲンも最終手段。生化学検査を充実してもらった。また生化学の知識をつけた。
アイソトープ・・・一体、なに???
化学式・・・構造式まで勉強した。ついでにイオン式まで。
必要な検査を最低限で!
(病院の経営事情の為に、CT写真を何回にも分けて使われている人・・・ご注意!)


簡単に言えば、
野生の動物が、健康法を一番知っている。
人間と、人間が育てたペットにしか肥満は居ない!!ってこと。
頭がヨクなることと、健康を勝ち取ることは反比例してる!って判った。

ちなみに、抗がん剤の副作用は・・・
吐き気や悪寒などの、すぐ出るもの以外に、
末梢神経障害・目の焦点も合わなくなった。
網膜剥離(小さい穴だったが、ド真ん中だったからレーザーを使うと失明する位置)
狭心症・・・
すべてを、自分で人体実験して治してみた。
(薬を使うと、また、他の病気が増えるだけだったから)


「根こそぎ健康になれる!」
確信を持って抗がん剤を辞めた。
自信があるわけではなかった。でも、健康になれないなら生きていたくなかった。
あとは、面白いほど、結果を手にできた。
健康になると、精神力もついてくることを知った。
心身ともに若くなる。

そして、なにより主治医とは、人としてお互いに尊厳を持って付き合ってきている。