母の癌


T2N1MX stageUB 
(3.1×2.6×2.1cm)
左乳房癌、リンパへの転移
2002..10.6..母の診断である。(癌センターにて)
生検では、
針で弾けたように腫瘍がボコボコになり、内出血も1ヶ月程、消えませんでした。



母は、まったくカロリー栄養学の優等生。
父が、昔、結核を患った時に「栄養をつける」べく、カロリー栄養学で治った♪と自信を持っている人。
私が、いくら細胞学を取り入れた栄養学と、カロリー栄養学の違いを説明しても理解してもらえませんでした。

カロリー過剰(脂過多)の食生活の母には、
再三「大腸がんか、乳癌になるよ〜年取ってきてんだから、脂は必要ないよ〜」とは言ってきましたが。。。
聞く耳は持ってもらっていなかった。。。
(例えば、油をひいて肉を焼き、その油で野菜を炒める等)

乳房のしこりは、一年以上も前に、気付いていたらしい。
でも、
私に言うこと・・・躊躇われたようでした。
私が、実家に帰った時に、母の態度で隠し事がある&顔色が優れない・・・で
気付いた時には、もう、腋のリンパにまで転移していました。

夜寝る時も、腕を上げていないと病めるらしく、
かなり生活に支障が出ていました。
大好きな家庭菜園は、放りっぱなしでした。


でも、はっきり言って、原因が、栄養(カロリー)過多だと判っていたので、私から見れば簡単でした。
癌の質を調べてもらったら、案の状、ホルモン依存。
閉経後、10年以上も経っているのに、ホルモン依存の乳癌になれるなんて〜
母の体は、若さが、充満していた証拠です。
さすが! 70歳過ぎても、美乳の母ならでは☆の癌でした。


対策は、先ず、体脂肪を落とすこと!
どの癌でも、そうですが、絶対に、快便にする必要があります。
臓器についた脂肪は便に。血管内についた脂肪は尿に出ますから。。。

食事は、まったくの野菜・果物。海藻。
納豆+卵黄OK。豆腐もOK(と言うより豆類をふんだんに)。週1回魚介類OK
たんぱく質は、大豆由来のプロテイン・スコア100のプロテインにしました。
プロテインから、たんぱく質を20g×3回/日
勿論、牛乳は、無脂肪乳(脱脂粉乳)
水を1日2リットル。
週に1食以上、丼1杯の大根おろし。
砂糖無しのヨーグルトを毎日。
全ての栄養素を網羅したマルチ・サプリメント。
サメの軟骨(パウダー)
ハナビラタケ


病院では、
「左利きの母の左手が使えなくならないか?」の質問に対して、
返事をもらえなかったので(当然なのですが)、手術拒否。
11月21日、ホルモン依存と診断が出たので、
ホルモン剤のアリミデックス服用で治療開始。



そんな中、母は、カスピ海ヨーグルトというブームになったモノを摂ったり
(カスピ海はいいのですが、高脂肪が問題)
水をアルカリ・イオン水にしてみたり・・・(胃液は強酸性なのに)
ブームに乗って、一進一退。(同居してないので管理できず)

食事療法を続けながら、
体脂肪を35%⇒25%まで落とす。体重も59.5キロ⇒50.5キロに。
(所謂、デブでした)

2003.1月半ばから、ハナビラダケを辞め
朝鮮人参6年根・プロポリス・アガリクス(粉末・エキス)・にんにく・亜鉛・他含有のハーブ・サプリに変換。

2月末、ホルモン剤を辞める。

3月末には、顔色も良くなり、生活にまったく支障はなくなっていた。

4月30日 転院(6ヶ月以上の手術拒否が不可能になった為)
その時の、生検では、3ヶ所から共、癌細胞が出ず。
やり直しをして、2ヶ所から、取る・・・膿胞内癌と種類が変わっていた。
(実際に、やり直しの2ヶ所から「癌細胞が出たのか?」には返答をもらえず)

5月7日 MRI検査  転移癌が消えている。
リンパから原発を繋ぐ血管が白く映っていた為、サメの軟骨は逆効果かも?と思い、
サメの軟骨を辞める。
(サメ軟骨は、癌細胞が栄養を取り込む為に新生血管を作り出すことを阻止するらしい。
これ以上、転移させない為に始めたが、
母の、この状態を「転移癌が血管を通って原発癌に戻っていっている」と
見ることができた為)


国立の病院に県外から通っていたのだけれど・・・
ホルモン剤(アロマシン)一つで、手術も受けないからなのか???
再三、検査を主治医に要求しても、まったく聞いてもらえなかったそうで・・・

それでも、2003年の夏は、家庭菜園に精を出せていたし
顔色もヨク、体調も良かったので、焦ることはありませんでした。

そして私が、病院に付き添い、主治医に強く要求して・・・
11月30日 やっと5月以降始めて、MRIの検査をしてもらえました。
結果、血管は全く映らず、原発癌も、一回り小さくなっていて、輪郭も歪になり、ところどころ穴が開いていて
全体的に、明確に『白』が薄くなっていました。。。

主治医の言葉は
「壊死していっているようだな」でした。
(院外処方なので処方箋は書いてもらっていましたが薬自体は受け取らず・・・バレてなかったようです)
(4週間おきに通院していたのに7週間分も処方する医師でした)
ついでに・・・ぶよぶよに太った医師です。


今は、血液検査のみです。(しこりは自分で触診管理)
癌を小さくしている間は、肝臓の数値が高かったのですが、今は、全て正常です。
食事は、脂のモノを今も辞めています。
サプリ代も、月4万円以内ですから、抗がん剤・手術をやっているより安く済んでいると思います。
(ハナビラ、サメは高かった〜)

今の母は、ダイエットもできたし〜
「20年前の服が着れるわっ♪」とはしゃいでいます。

母の素晴らしいトコロは、娘ごときの指図を素直に聞いたことです。
年を取って利き腕を使えなくなるコトを不憫に思っての、私の愛情がベースだったのは確かですが、
この期間、何度も自制心を失い、ヤケになったりして、何度も私に怒鳴られていました。
それでも、やり抜いた母が勝ち取った結果です。
「これが効く」「あれが効く」ではなく
医者否定でもなく・・・
終始、自分との闘いだったのだから。


そして、父。
いつもエラッソーに話す私のコトを、大嫌いだった筈なのに・・・
この期間は、とても私を立ててくれていました。
(母と私が大喧嘩していても、絶対に私を制するコトをしなかった)

そして、兄。
母の癌が判った時、すぐに
「今迄、オマエが勉強してきたこと、何も理解しようとしてなくてごめんな」と。
「何も判らないから、全部オマエに任せる。失敗しても文句は言わない」
「判らないから何をしてイイか判らないけど、俺にできることがあったら言ってくれ」と。

涙が出るほど、嬉しかった。


お勧めはしませんが・・・
化学療法も手術も受けず、転移癌でも、こういう結果を手にすることもあること・だけ
知って下さい。


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