カルテ開示

2010年 3月10日
19年かかっている病院に、カルテ開示の手続きをしました。
正式には、診療情報提供の手続きです。

2010年 1月27日
私のカルテが捨てられていて、改ざんされた内容のサマリー(まとめ書き)になっていることを知りました。


まさか、こういう類いのことを書かなければいけなくなるなんて、
想像もしていませんでした。

主治医を、消そうかとも考えましたけれど・・・
信頼していたことは間違いないので、残しておくことにします。



私は、一度も、正確にきちんと、主治医から私のメラノーマについて
説明も告知も受けたことがありません。
私が、メラノーマの手術を受けたのは、1991年。

がんの告知は、国立がんセンターが1995年4月から始めました。
その後、日本のインフォームド・コンセントは紆余曲折しながら・・・
 
進んでいっています。(画像は朝日新聞/私のスクラップブックより)


私の日記です。主治医から聞いたこと等々、書き綴ってきています。
(上の画像は、手術後、主治医がホワイトボードに書いて説明してくれた“絵”を、
真似て、私が書いた絵です)


どこから書こうかなぁ〜と、まだまだ混乱していますけれど・・・


昨年初夏、腰を痛めて、2度歩けなくなり、
車の運転もできなくなったから〜と、バス1本で行ける名古屋駅近くの整形外科に行った時。

「腰の筋肉と、背筋を切ってあります」なんて、言っている自分が・・・
「なんて幼稚な表現をしているんだろう」と、可笑しくなって。

「あぁ 時代が違うんだ! ちゃんと主治医から説明を聞いておかなくちゃvv」と自覚して・・・


2009年 7月 3日 主治医に
「私って、どの筋肉を、どうやって切ってあるんでしたっけ??」と聞きに行きました。

お返事は・・・今迄19年間、見たコトもない逆上した様子に変わって、

「教えないね。素人(私のこと)になんか、話したくないよ。」と始まり・・・
ヒステリックに、とっても早口でまくしたてられてしまいました。

私が、整形にかかるのに困っているコトを伝えると、
「僕の手術と、あなたの今の状態が関係あると言い切る整形外科医が居るなら!
そしてその整形外科医が『知りたい』と言うなら、
その整形外科医に直接、話すよ!
素人(また、私のことです)になんか、話さないね!」
と。

ついでに、
「理学療法士なんかはダメだぞ!理学療法士なんかが言ってるんだとしたら・・・・・」
寒気がするほどの、差別の言葉を並べてました。

もうメチャクチャでした。
「筋肉は、切ってない!」だとか
「お尻から持っていったのは、皮膚だ!」とか。。。

その場で、パンツをおろして、私のお尻には、傷跡が無いコトを見せてやればヨカッタ。。。

「他の患者さんが待ってるから、そんな話ばっかり続けるなら、帰って!!」
終わりにされちゃいました。

その日、娘も行ったのですが、
娘の血液検査を依頼すると・・・
「エイズだ!エイズだ!」なんて、勝手に『HIV』の項目にチェックを入れて・・・
横の看護師さんに、
「先生ッ!!!」と、窘められて、HIVのチェックは外していましたけれど。。


・・・・・・・
本当に困りました。
主治医は、60歳。  「ボケ始めてしまった??」と思いました。

「古いことを聞かれて、思い出せないとイライラして逆切れして怒鳴り散らすおじいちゃんになっちゃった??」と。

ま、そんなことより、私は、骨を正常にすることが優先です。


年が明けて〜
石井直方氏の『スロトレ』を知り、やっと腰を痛めず、お腹の筋肉をつける方法で、光が見えたから〜

去年の、主治医とのやりとりを、明確にすべく、いろいろ調べ始めました。

「19年間、病院を変えずに通っているのだから・・・」

厚労省の医事課に問い合わせて、
『カルテの保存5年間』は、治療が終了してからの5年間であることを確認しました。

つまり、主治医が思い出せなくても、私のカルテは残っている筈だそう。
名古屋医師会
医療事故情報センター
オンブズマン
行政の医療安全窓口
等々、いろいろなトコロに問い合わせて、私の権利を確認をしました。


病院の医事課に、主治医がトンチンカンなコトを言ってるから〜と、私のカルテを調べてもらう依頼をしました。

日をおいて、調べた結果の電話を頂きました。

「だからぁ〜 筋肉なんて取っていませんから!!」との医事課の女性の最後の言葉が、今も耳から離れません。
まだまだ聞きたいコトがあり・・・でも、何を聞いていいのか判らないまま、
「予約の患者さんがみえたので」と、電話を切られてしまいました。

全身の力が抜けました。
私・・・発作的に、自殺未遂(?)みたいなコトをやっちゃっていました。


気を取り直して、主人に会いに行き、
主人が聞いた、主治医からの説明を聞いてきました。
私より、詳しく聞いていましたけれど・・・

「奥に深かったから、大きく切っておきました。
腰の筋肉と、背筋も切っておきました」と、

最初、埋める肉を、太腿から持って行くと聞いていたけど、
(だから、手術前、私は、太腿も消毒されています)
「お尻の肉があったから、それを繋げたまま反転して持っていって、埋めておきました。
その方が、つき易いのです」と。

私が聞いたことと、同じ内容でした。


もう一度、病院の医事課に電話をして・・・
前回の女性が、本当にカルテを調べてくれたのか?!を、確認しました。

2010年 1月27日です。

男性に代わりました。
「(私のことを)聞いています」と。
「ちゃんと、カルテを出してきていましたよ。もう一度、私が調べましょうか?」と言ってもらえました。

一度、電話を切って・・・カルテを手元に、電話を頂きました。
「カルテは無いですね。サマリーになっています。違法じゃないですよ」と始まり・・・
サマリーを読み上げてくれました。

1990年12月28日受診
1991年 1月17日 1回目の手術 周り1cm
1991年 2月 7日 2回目の手術 2.5×3cm
そして、私の腫瘍の大きさは、6×5mm と、
深かった奥のサイズは、書いてないそうでした。

後記:日赤への紹介状には、主治医作で、
周囲1cmを取った後、
2回目の手術で、周囲2.5〜3cmと書かれていました。
つまり、深さは、1cmを切り・縫った後、また・そこから2.5〜3cmの深さがあることが書かれていました。


ついでに、私が抗がん剤を辞めた月も違っていました。

男性は、「筋肉は取ってませんね。これでは、取る必要もありませんよ」と、締め括っていました。

「そうですね。その内容なら・・・。」と、お礼を言って、電話を終わりにしました。


ずーっと、気力が抜けたままです。


私が、頑張って得たもの・・・こういう結果。。。?

自分の意思で抗がん剤を辞め、本当に必死で自己管理してきて・・・

主治医は、私が元気で生きていることに、ムカついていたってこと??

抗がん剤を辞めても、再発も転移もしなかったから、
最初から、抗がん剤の必要が無かったレベルに変えてしまったの??

それとも、
本当に、T期だったとしたら・・・

ダカルバジンを使ってみたかっただけ??
(1991年当時、ダカルバジンは世に出て、まだ4年のモノで、安全性が証明されていなく、
かなり進行したメラノーマにしか使われていなかったもの)

手術も、皮弁やフラップ法で。
(主治医の説明を、知り合いの医師達に説明すると、「多分、皮弁&フラップだろう」と)
やってみたかっただけだったの??

運動器官は、皮膚科の領域じゃないよね?
だから、整形外科にも回さなかったの???

〜〜〜〜〜
なんて、いろんな疑問が、次から次から溢れてきて、止まりません。


そうだとしたら、私は、NATSUKOで、嘘を書いてきていることになってしまいます。
自己管理をして、賢い患者になり、医療費を減らしましょう〜
なんて。。。

私自身が、一番の阿呆じゃん(><)

ガリウムシンチも5年間も受けてきちゃってるし。


いろんなコトが頭の中をグルグル回っていて・・・

まだ、主治医を信じたい気持ちを持っている私がいます。


2009年 7月 3日の主治医の言葉は、ボケてただけで。
カルテ(サマリー)は、他の誰かの書き写し事故だと思いたい私がいます。


去年の夏から(主治医の言葉から)、
何件か整形外科にかかったり問い合わせたりして、
「メラノーマの手術で筋肉を取ってあるのですが、
主治医が、詳しく話すのは、整形外科医だけだ!と言っています。
私の主治医に、手術説明を依頼して下さいますか?」と聞いているのですが・・・

誰も受けてくれません。

他、いろんな機関に問い合わせてみましたけれど、
「筋電図で、今の筋肉の状態を調べるコトはできるけど、
それが、外科的手術に因るモノだと断言するには、開いてみるしかない」とのこと。

反対に、「皮膚科ぁぁ???」と、唖然とされてしまう始末です。


電子カルテ(サマリー)になっているのか判らないけれど、
全ての、私のカルテを見てみたくなりました。

少なくとも、主治医の筆跡は判ります。

3月10日に、病院まで行って手続きをして・・・
3月19日夕方、病院から電話がありました。
「手続きを進めているのですが、○○先生(主治医の名前)で、止まっています。
○○先生が、
『あの時は、他の患者さんのコトでイライラしていて、酷い言い方をしてしまった。
開示なんて言わないで、ちゃんと説明するから、一度、おいで』と、
おっしゃってます」と。

口頭で聞いたコトを、私が日記に書いてある内容まで、
去年7月3日主治医に、
「素人が、ワケも判らず書いたモノなんか、信用できない!!
だから、素人に話すのはイヤなんだよ」
とまで否定されているコトを伝えて、

「また、口頭で聞いて私がメモに残しても、後になって、否定できるじゃないですか!
イヤです! 書面でください!書面で頂いた後、お話しましょ」と、断りました。

加えて、
「『酷いこと』のままに、サマリーに書かれていたのですよ。
感情的になって言ってしまったのじゃない裏付けが実際にあるのですよ。」とも伝えておきました。


今、全てのカルテ(サマリーも含む)のコピーができました〜の連絡待ちです。

事実と違うサマリーに、主治医が印鑑を押すのか・・・
それとも、
サマリーは、何かの事故で間違って書かれていて、
本当の事実を、新たに、主治医が書いてくれるのか。。。

後者を期待しています。


*T期なのに、主治医の好奇心で、イタズラに大きく切られていたのか・・・(だから、その事実を消してしまった)
*(1991年当時の医師達の常識として)V期の治療・手術を受けていながら、抗がん剤を辞めても
転移も再発もなかったから、医師のプライドとして、最初から、T期と変えてしまったのか・・・

この、どちらでもないコトを期待しています。

ただ、いずれにしても、今迄のスタンスでNATSUKOを続けられなくなっているのは、
私の精神上・・・確かです。


以上、2010年 3月29日 7時30分現在 記