「信じる」ということ


病気と怠惰・・・
関係あるような気がします。
少なくとも、
食に、怠け者・・・現れますよね。。。
そして『思考』も。


私は「信じる」という言葉が、好きではありません。
「信じられる人」が居ないってコトではありません。

世間で「信じる」って言葉を使っている場面が嫌いなのです。


一番、記憶に深い場面は・・・
逸見政孝氏の手術前の記者会見。
「私は、前田病院に騙された。」
そして
「東京女子医大の羽生医師を信じます!!」
そして、
3キロもの内臓を切除されて、亡くなられました。
で、その後、
その羽生医師は、マスコミに
「逸見さんは、手術をすれば復帰できるかも〜と勘違いされていたようですね」
ですって。。。
逸見さんが亡くなってからの、言葉でした。

記者会見から手術まで、何日もあったのだから〜
手術前に、きちんと逸見さんに手術の説明をしてあげればよかったのに!(T_T)
と、私は悔しく、その羽生医師の言葉を記憶しています。


神戸の少年Aの両親が書いた本にも、
イッパイ「信じる」って言葉が並んでいます。
淳君が殺される前にも
いろんな事件があったのに・・・
親は子供を信じるものですよね」と、書き綴ってありました。
目の前にある『現実』よりも、実際に被害を受け歯の折れている相手が居ても
事件を起こした息子を信じる・・・
私には意味が判らない。。

他にも、いっぱいありますよね。
「私は、彼を信じていたのに・・・」
「あの人を信じて、お金を貸したのに・・・」


一体、この人たちは
自分の『何』を、信じているのでしょうか???


現実・事実から目を背け
自分で調べるコト・会話することを省く為に使うコト・・・
その為に「信じる」って言葉を使っている場面が多くないでしょうか??
反対に「信じられない」って言葉を使う時も、
具体的・何!!ではなく、自分の好き嫌いで言っている場面が多いですよね。
それなら、「嫌い」とか「好きになれない」って言えばいいのに。。
思考ではなく、感情でモノを言っていますよね。


信じているなら、聞けばイイものを。。。
「私は、○○医師を信じているから、いいの!!」って人。
信じている相手が、信じているままの人だったら、
きちんと質問をすれば、きちんと答えてくれますよね。
それなのに、
聞かない人がイッパイ。
そして・・・「信じています」ですって。


親子関係にも如実に現れているようです。
最近、自分の子供の様子がおかしいこと…気付いているのに、
「信じているから〜」と、
子供のSOSを見過ごしている親。
問い詰めるのではなく…
何かの話題を作って、会話をしてみる。。。
そこで、何かを話してくれるかもしれない。。
親なのだから、話してくれなくても、何かを感じ取ることができるかもしれない。。
でも
会話もせずに「子供を信じています」


・・・と、
私が「信じる」って言葉に疑問を持ったのは、
随分、若かった頃です。
他所の子供をメチャクチャ噛んだ、自分チの犬のコトを、
ニュースのインタビューで、
飼い主が「信じていたのに〜」と言っていたのです。

テレビの前で、私・・・コケそうになりました。
「犬を信じていたぁぁぁ〜〜〜???」
で、
「鎖を外したぁぁぁ〜〜〜??」
ただ単に、『犬』を識らないだけですよね!

きちんとしつけられていない・お腹を空かせた猟犬の習性を
飼い主が識らないだけ・ですよね。


のこのこ男の部屋について行き、
やられちゃって(下品でゴメンなさい)
「信じてたのに・・・」
なんて女の言葉も、通用しませんよね。



私がメラノーマになった時
沢山の知り合いの方から
「これがイイよ」
「あれがイイよ」
と、
いろんな民間療法を教えて頂きました。
『ミルクだけ!で治った』
『丸山ワクチンで治った』
『霊芝で治った』
『蓮見ワクチンで治った』
・・・・・・・etc
そして
私は、その人達の『心』を信じていました。
私に『良かれ』と思って、持ってきてくれている『心』を信じました。
だから、
ひとつひとつの情報を、丹念に読みました。
頂いた資料だけでなく
本屋さん・図書館に行って、も、調べられるだけ調べました。

『心』を信じているから、
少なくとも、
私の為を思って持ってきてくれているのであって、
私を苦しめようとして来てくれた人は居なかったと
…それは信じています。

だからこそ
ヨク調べもしないで、飛びついて
私が死んでしまったら。。。
私の方こそ、その人たちの『心』を裏切るコトになってしまいます。


実際に、『それ』をやって助かった人が居るのです。
そして
確実に、『それ』をやって助からなかった人も居たのです。
私は、同じことをやって、助かった人と助からなかった人の『違い』の方に興味がありました。
そこに(『違い』に)、何かの答え(少なくともヒント)が、あるのではないか?!

考えています。


「信じる」「信じられない」
そんな〜『帰依』してしまわないで…
調べればヨイだけのコトって、沢山あると思います。
会話をすれば済むコトも多々あると思います。
質問すればヨイこともあります。


調べるコト
会話をするコト
質問してみるコト
・・・を
面倒臭がって、「信じています」の言葉を使っている人・・・
多く見かけませんか?


医者にも居るンですよ〜
「ボクは、そういうコトは、信じないから!」って、医療の現場で宗教用語を使う人が。
私が出合った・尊敬できる医師たちは…
「具体的・何?」を聴いてくれます。話してくれます。


たぶん・・・
私は、「信じる」ことができなかったから〜
私は、猜疑心が強いから〜
有名な医者の・・・
はたまた
立派な先生のどんな言葉も…
「理に叶っているか!?」と、観てきました。
そして
実践してきました。


どうぞ、私のHP・・・
信じないで下さいネ(^_-)-☆


余談です。
立派な肩書きに、日本人は弱いようです。
医者・病院というモノに
今更ながら、自分の人生・命を丸投げにしてしまっている人が多く居ます。
反対に
医療に反感・不信を持った人が
民間療法一辺倒に走っているサマも多く見かけます。
・・・・・
どちらも
信じきってしまっている人が多いようです。
そういう人って・・・
洗脳状態にあるように私には思えます。
それは・・・
高学歴の人でも、自分の『脳みそ』を使って理解しようとしていません。
完全に『お任せ』状態のようです。

知って下さい。
1990年には、もう、『医者からもらった薬が判る本』
ベストセラーになっています。
今は、インターネットも普及して
簡単に、自分の受けている『治療』『薬』『検査』を調べるコトができます。

「信じる」ではなく
「納得する」「理解する」までは、勉強しましょう。

「判らない」と言い続けるコト、怠慢の言葉だと私は思います。
判らないコトが、自分の人生・命にかかわるコトなら
フツー、何より優先して調べますよね。
判らないコトを、調べもしないコト・・・恥だと思って下さい。

『洗脳』・・・またまた広辞苑から〜
新しい思想を繰り返し教え込んで、それまでの思想を改めさせること。
第二次世界大戦後の一時期、、中国の思想改造をbrain washingと
評したものの訳語か。
と、あります。
(コレこのまんま↑広辞苑に書いてあるのですよ〜vv)

本当に、第二次世界大戦後、日本人は
繰り返し繰り返し聞かされるコトによって、思い込み・信じきって
それまでの日本人魂の思想を捨て切ってしまっているように思います。
思い込む前に!信じきる前に!
自分のアタマを使いましょうよ。
もうちょっと『思考』を働かせましょうよ。

「卵が××・・・」「あなたは一生△△・・・」と言われたら
一時期ショック状態になるのはOKです。
仕方ないでしょう。
でも
3ヶ月以上、そこに立ち止まらないで下さい。

テレビを見たり、パソコン・携帯を触っている時間はあるのだから〜
洗脳されてしまう前に、
質問できる言葉を持ちましょう。
自分の言葉を持てるように勉強しましょうよ。

洗脳でない思想なら
きちんと、論理(losic)だてるコトができます。

今、日本の若い子達の学力が落ちている・・・
それ以前に、大の大人達が『お任せ医療』にドップリ浸かっているコト自体
アタマが悪くなっていると思うのですが。。。

私のスクラップ・ブックから〜
1992年10月22日の朝日新聞に
「糖尿病・腎不全などにかかる国の医療費
食事療法で約2億円軽減
船員保険病院が昨年度実践分を試算」
「薬を出さずに栄養指導 外来治療に明らかな効果」

という記事があります。
写真入り・グラフ付きです。

「薬を出さずに栄養指導をしたら、
薬での治療よりも効果があった」
それは、この船員保険病院一つだけで、1年間で2億円も医療費を軽減できる
と、あります。
ただ、
「投薬による薬価差益が、病院経営を支える大きな柱。
医療行政の転換を期待」
と締め括ってあります。

1992年…14年前です。
まだ、日本に借金がない頃の記事です。
記憶に残ってる方…いらっしゃいますか?


今の医療費破綻は、日本人が勉強を怠ったツケなのではないでしょうか??

夏子の雑学 

我と自我
『思考』と『感情』