2007.10.31

salon-de-NATSUKO完成しました。

相談チェックシートも可愛く作れましたvv

セミナースケジュール・・・今はまだ真っ白ですが。。m(_ _)m

salon-de-NATSUKO’s shopも作りました^^


salon-de-NATSUKOは、“com” から“jp”に変りました。
com を作ってくれていた人から、「300万円」との金額の提示で恐喝を受け、
更新&修正をstopされ。。。
すぐ警察に相談に行ったのだけど、
そのまま訴えてしまうと、私自身がホームページを触れなくなってしまう為、
証拠を残しつつ、データ移行・製作等々。。。(^^ゞ

秋葉君の会社がダメになってから、他では、なかなか
そういう警察絡みのホームページを請け負ってくれるトコロも無く。。


で^^
とってもイイ出会いがあり〜☆
。。。また、その話は、次の機会に^^

今は、教えていただきながら、自分で作っています。


私が、人と話す時に、ヨク使う例え話なのですが。。
例えば・・・
家の前で、トラックとクレーン車の事故があって、
自分の家の庭に、クレーンで大きな穴が開いてしまったとする・・・
私は
ただ、穴を埋めるだけの行為はしない。
マイナスを、ただ、『0』にするだけの行動って、疲れるだけのような気がするのです。
私は・・・
折角、大きな穴が掘れたなら〜
土を選んで・形を整えながら、花壇を作りますvv
多分、労力は、穴を埋めるだけの方が少ないのだろうけれど、
花壇を作った方が、終わった時の疲労感。。。が、満足感に変るような気がするのです^^

この2ヶ月半
動き回り・いろんな〜とってもステキな出会いがありました。
今は、“com”がダメになったことに感謝したいくらいです。

とは言うものの。。
やっと、ワンコインセミナ〜を始めるぞ〜と案内をさせて頂いた3月末の状態に
辿り着いたところで、今からが、本当の再出発です。

・・・と、話は変って、
先週、が手術をしました。
乳癌の方は、治まっています。乳癌の手術ではありません。

母のその後をお話しますね。
2003年11月、病院での良い(嬉しい)結果を最後に、
母はあれから、病院へ行くことを辞めてしまいました。
私としては、左利きの母が、左手が使えなくなっての『老い』なんて、とんでもない!!と
思ってのサポートだったので、
「もう少し、小さくなったら、腫瘍を取ってしまおうvv」のつもりでした。
でも、本人は、『良い結果』で終わりと錯覚してしまったのか。。。
食事療法も手を抜き始め、血液検査どころか、病院さえも行かなくなり。。
時々、抜き打ちで、実家を覗いてみると、
アブラ物のお惣菜を買ってきて食べている始末で。。(><)

その頃の母は、もう何を言っても、「いいのvvいいのvv大丈夫^^」とだけ。

その気持ちも判ります。
本当に、食事を制限するって、過酷です。
3ヶ月・半年ならまだしも。。。『年』の単位でやり続けること・・・正直、しんどいです。
その気持ちが判るから、近くで見守るしかないかなぁ〜と
思っていたのですが。。

あまりにもエスカレートしていく母の行動をたしなめた私に、母が
「あんた、私(母)が、また癌になったら困るやろ〜」なんて。。。

それが、2年半ほど前です。
私が、ホームページに母のことを書いているのを、母は知っています。
だから、
「また何かあっても、助けないと体裁が悪い」と私が思うと思っていたらしく。。。

私「困らないよ〜 もう近くに居ないから!!」と、実家に行くコトを辞めました。
案の定、腫瘍は(完全に無くなったワケではなかったので)、また大きくなり、
熱を持つようにまでなってきたようで・・・

何度も・何度も私のトコロに泣きついてきたのですが。。
「病院の血液検査は??」
「食べてるモノ書き出してるの??」とだけ聞き、
答えが「NO」の間は、放っておきました。

やるコトは、母本人もシッカリ知っている筈だから。

放っておいたら、自分自身で、ポツポツと初めていたようです。
腫瘍の熱は冷め、また小さくなっていき・・・
病院で検査を受け、転移もないコトを確認して・・・と、
あれからの5年間は、↑のような日々でした。
母が好きな家庭菜園と、お習字&筆で絵を書くコトだけを生き甲斐にしていました。
が、
多分、長い期間、左乳房の腫瘍(一時期は腋にまでの転移)が圧迫していたからだと
思うのですが。。

筆で絵を書こうにも、左手が痺れて、筆を持てなくなってしまいました。
手根管(しゅこんかん)症候群という病名。

ベトちゃん・ドクちゃんを切り離した手術に加わっていた整形外科の先生に
手術をして頂きました。
手首を縦に7針だけの小さな手術だったのですが、
完全に『手を安静に』する為、結構、長い入院でした。

綺麗に治ったようです^^

母の口癖は・・・
「私、そんなに長生きしたくないの」でした。
そして、愚痴が多い人。

今回のことで、重々、母に私が言ったこと・・・
「生きてる間は、元気でいるわん」と、口癖を変えなさい!!と。
左手を使えなくなっての人生の怖さを忘れるな!!と。

筆を持って、絵を書けることに、感謝しようね^^
今回のコトは、チャンスだったんだよ。無駄にしちゃダメだよ^^と。

生きてる間は、生き甲斐を持って、生き生きと生きていて欲しい☆

母に説教しながら、自分に言い聞かせていた次第です^^

2007.10.10

小中学生の「うつ病」、1.5% 北大調査

 精神科医に「うつ病」と診断される小中学生の割合は1.5%であることが、北海道大学の伝田健三准教授(児童精神医学)らの調査でわかった。中学1年生では4.1%で、大人とほぼ同じだった。12日から徳島市である日本精神科診断学会で発表する。
 これまで小中学生本人へのアンケートをもとに1割前後が抑うつ状態との結果が出ているが、今回は医師の診断に基づく。北海道千歳市内の小学校8校の4〜6年生616人と、中学校2校の1年生122人を対象に、学校の健康診断に合わせて4〜6人の精神科医が診断に当たった。
 その結果、1.5%に当たる11人が、うつ病の診断で広く使われている米国精神医学会の基準で「大うつ病性障害」(うつ病)と診断された。高学年ほど増える傾向にあり、中学1年生では5人だった。軽症のうつ病や双極性障害(そううつ病)を含めると4.2%の31人(中1は13人)だった。不登校の児童・生徒も調べたが、うつ病は一人もいなかった。
 伝田准教授は「本人へのアンケートではうつ病の可能性も含むため数字が高めに出がちで、今回の結果が実態だろう。大人の有病率は約5%と考えられており、中学生は大人と変わらなかった」としている。
 また、最初の簡単な面接でうつ病や双極性障害を疑ったうちの約4分の1は、広汎性発達障害や注意欠陥・多動性障害(ADHD)とみられるという。伝田准教授は「ADHDなどの多動や衝動性といった特徴が、そう状態の症状と混同されている可能性がある」と指摘している。

2007年10月09日10時38分 asahi.com

この記事・・・ご存知でしょうか?
今の子供達は、苦しんでいるのですよね。
夢を見させてあげられないおとなたち。。

できれば、「朝ご飯・・・何食べてる??」と聞いてみたい。

ノーベル医学生理学賞はカペッキ氏ら3氏に

2007年10月08日21時33分

ノーベル物理学賞、ディスク大容量化に貢献の独仏2氏に

2007年10月09日21時05分

ノーベル賞が続々と発表されましたね。
残念ながら、日本人は『ゼロ』

先日の日野原先生の講演の中で・・・
「95歳の夢」として話されていた中に、
「新しい形の医科大学を作る」という話がありました。
今のままの教育では、もう日本人はノーベル医学賞をとれないだろうって。
100歳までの(実現)夢だそうです。

「何歳まで生きて、何をする!」
こんな風に、生き生きと夢を語るお茶目なおじいちゃんを、
今の子供達にドンドン見せてあげたいですよねぇ〜^^


ノリックこと、阿部典史くん。。。ご存知でしょうか??
GP500のレーサーで。
世界での優勝を3回もしている男の子。。。32歳。
ノリックの訃報に、泣きました。
7日夕方、片側2車線の道路
左車線を走行していたトラックが突然、Uターン禁止の道なのに、
突然、Uターンをして。。。後方右車線を走っていたノリックが
トラックに追突し。。。(涙)

ノリックがまだ19・20歳の頃、私は実家近くの鈴鹿サーキットで
彼のレースをよく見ていました。
当時、私も、中型バイクの免許を持っていて、ライダーズショップによく行っていたのですが、
ショップで会っても、ノリックは、満面の笑顔を返してくれていました。
ホントに思い切りのいいコーナリングに、見ている私の方がヒヤヒヤしていたくらいで。。。
あれからヨーロッパで活躍して〜
また日本のロードレースに活気を復活させてくれていたのに。。
なんだか悔しくてたまりません。。
ご冥福を祈りつつ・・・これからの日本のレーサー達を見守っていてと願っています。

しっちゃかめっちゃかになってました・・・私のHPの裏側。。(^^ゞ
8割がた、整備しつつあります。
メールももれていらっしゃる方も見つかりました。
もう暫く、お待ち下さいm(_ _)m

2007.10. 2

今日は、やっとの報告です^^

salon-de-natsuko を、アドレスを変えて、自分の意志で更新&修正できるようになりました。

私の不徳で・・・
人を選ばず、軽い気持ちでHPを作ってもらっていたので、痛い思いをしました。
a-natsukoごと、何処かに移してしまいたいとも思ったり。。

。。。と、こんな覇気のない時間を過ごしてしまったこと・・・ごめんなさい。

salon-de-natsukoの方も、自分で管理してやっていきます。

多分。。。もう、通常に戻れると思います。
本当に、弾みの悪いHP・・・(2ヶ月間になりますよね) ごめんなさい。


。。。と、話は変って〜
皆さんには、尊敬する人って、存在していますか??
私は、メラノーマになったばかりの頃。。。
残間里江子さんに憧れていました。

残間里江子さん・・・最近は朝のワイドショー等に、コメンテーターとして時々出てらっしゃいます。
いろんなコトをプロデュースしてらっしゃる女性で。
古くは、田中角栄・元首相の単独インタビューに成功したとか〜
山口百惠ちゃんの『蒼い時』をプロデュースしたり。。。
・・・私が、抗がん剤の加療中の頃、とってもキラキラとした存在の人でした。

でね。
当時、私・・・残間さんにお手紙を書いたのです。
自分では「愚痴ではない!!」なんて書いているのですが、
社会に対して・自分の人生に対して、愚痴イッパイ並べた手紙を。 (^^ゞ

ご本人の目にも止まらないだろう〜なんて気持ちもあったのですが。

そんな私の愚痴手紙に、残間さんは、シッカリとしたお返事を下さいました。
自筆で、3ページビッシリと。
死生観にも触れる重い内容に、まっすぐに向き合って下さったお返事でした。

(メラノーマの情報・・・癌の情報がまだまだ入手困難な時代だったので、
「『語る場』以前に、『識る手懸り』が欲しい」なんて、
私は我が儘ばかりを書き綴っていました。)

今もずっと私の宝物になっています^^
残間さんが集められる限りの資料も添えて下さって、
「あなたの文章の『強さ』に、可能性を感じています」と言葉。

この『可能性』って言葉が、ずっと・ずっと私の励みになっていました。

その憧れの残間さんに、年末、会えるチャンスができました^^
お話なんてできないだろうけれど〜
握手なんてできたら〜 ステキだろうなぁ〜と、
今から、ワクワクしています。

また、その時・・・報告させて下さいね^^