カルテ改ざん

カルテ開示の続きに書くつもりでしたけれど。

続きに書ける程度の、単純ミスであると思って(期待)いたのですけど。。。


惨憺たる『事実』を、手にしました。


「一体、いつから???」
「どれだけの時間をかけて、ここまで、やったの??」

「最初から、こんなことができる人間だったの??」

「良心の呵責は、ないの???」

と、頭の中で、グルグルぐるぐる・・・辛いつらい疑問が溢れ続けています。


3月30日夕方、病院の事務の女性から「できました。遅くなりました」と、連絡を頂きました。
名古屋まで車の運転ができるようになるのを待って、

2010年 4月 2日 診療情報開示のコピーを受け取りに行きました。

19年間の記録・・・バッサリ捨てられていたとは言え、185枚ありました。
(バッサリ捨てられて、要約されたカルテになっています)

哀しいくらいに、主治医の文字でした。


・手術記録や診断に関わる記録は、主治医の他、3人の医師のハンコが押されて書かれていました。
3人の医師のハンコは押されているけれど、全て主治医の筆跡です。
その中の一人は、平成6年に入ってらした医師なのに、
平成3年の『診断』の記述のトコロに、その医師のハンコが使われていました。

・1991年 2月 7日の手術の同意書は、私は「書いていないよなぁ〜」とハッキリ記憶しているのですが、
日付けの入っていない医師のサインも無い…何処か違うトコロの紙が、差し込まれていました。
(1991年 1月17日の手術の同意書は、ちゃんと存在しています)

・私は、ず〜っと血液検査のコピーをもらってきているのだけど、
私には、調べるコトも、調べたコトも告げず、勝手に検査をしてきたモノがあったようで、
この右足が腐り始めた頃から、『RA』(リウマチ因子)検査をされてきていました。

私は、3年前から、『関節リウマチ』にされていました。

このリウマチの検査結果は、今回の診療情報のコピーにも入っていません。
(病院ぐるみなのかしらん???)

私のお金を使って・国のお金を使って、勝手に検査して、
手術の後遺症ではないと言う逃げの準備なのか・・・関節リウマチという病名を作り上げられていました。
何故、今回のコピーにも、その検査結果は抜くのかしらん??


もう、やりたい放題って感じ。

もう、どうとでもして って感じ。

ただ・・・

私のメラノーマ
私のプロフィールにも書いているように、サーフィンをしていた若い頃にはなかったホクロなのに、

改ざんされたカルテには、
小児期からあったホクロを、掻破して、1〜2ヶ月で、大きくなった
と、変えられていました。
これも、他の医師の名前で(主治医の筆跡で)も、何ヶ所かに書かれていました。


なんだか、これが一番、悔しくて。

医者の分野の手術とか診断とか手術説明(ムンテラもしてあることになっていました)は、
なんとなく、遠い世界のコトとして、「あるんだろうなぁ〜」と思えるのだけど。。
手術説明なんて受けていないから〜!!


でも、
「あなたと出会う前の、私の人生まで、変えてしまわないで!!」って、叫びたくなります。

「あなたは、子供の頃の私の背中を見てあるの???」って。



子供の頃からあるホクロの方が、急にできたホクロより、悪性度は低いのですね。
それが、理由なのでしょうか。。。

毎年いっぱい学会発表とかしているけれど、
こうやって、データを、自分の思うままに改ざんしているのかしら??
と、思ってしまう。


ただ・・・
ひと通り落ち込んで、苦しかった(今も苦しい)けれど、
それでも、やっぱり、この主治医で良かったと思えます。

19年前は、本当に、医者の思うがままに治療ができた時代です。
告知もしないで、治験薬だって勝手に使えた時代。
世間は、「お医者さまは、神様だぁ」と扱っていた時代に、

私は、
抗がん剤の入院中から、ライナス・ポーリングの話をしたり、
分子矯正医学の話をしたりして・・・
私が勤めていた会社の実験動物を、「先生の大学にも入ってましたよ〜」とか、
「ビタミンE欠乏のマウスは、癌が大きくなったでしょ?!」なんて^^
自分の意志で抗がん剤を辞め、
それでも、検査だけで、受け入れてくれていた主治医。

後になって、消し去らなければいけない手術だったとしても、
確実に、
あの手術のおかげで、私に生きるチャンスができた☆

優しい人柄が、つくりものだったのだとしても、
ここまで、完璧に騙してくれていたからこそ・・・

私は、『元気』に真っ直ぐに向かえていたのだし。

どんなに、陰で、チマチマ姑息なコトをしてきていたのだとしても、

この主治医で良かったと思えます。

主治医は、今、61歳。
いつまで(いくつまで?)病院に居るつもりなのか知らないけれど、
その時には、私は嫌が応でも知らなきゃいけなくなったであろう事実。

居なくなってから知るより、『今』で良かった。

少なくとも、『カルテ開示』という私の意思表示ができたと思っています。


次の一歩を踏み出さなくちゃvvです。

次の一歩。

私は、2009年の1月から、血液検査を受けていません。

何処の病院でも、断られています。

今年初め、落ち込んでいた時に、「更年期障害かな??」と、婦人科で血液検査を受けましたけれど、
それは、それのみ の検査でした。

悪性黒色腫の患者は(少なくとも、私のレベル・・・傷跡を確認されます)、
悪性黒色腫の専門医が居る病院でなければ、診てはいけないと決まっているのだそうです。

悪性黒色腫を知らないお医者さん(例えば、整形だけとか)は、別として、
十何年と診てくれてきた地元の総合病院(片道タクシー4,000円)の、整形外科の医師は、

そういう理不尽な医者のルールを破って、私を受け入れてきてくれていました。
9年前、私がよろけて、ドアの下角に右足の薬指を思いっきりぶつけ、複雑骨折をして・・・
どこの病院からも拒否されてしまったのだけど、
この整形の先生だけが、手術を引き受けてくれました。

「本当は、これは下半身麻酔でする手術だけど、君の場合は(メラノーマだから)下半身麻酔はかけられないから、
前日から泊まって、筋弛緩剤を入れて、局所麻酔でやるよ。
足の小指って、ブツけたら痛いだろ〜 薬指も。
だから、凄く痛いけど、覚悟できるなら、やってあげるよ^^」と、引き受けてくれました。
(病院を転々としていたから、骨折から13日後の手術でした)
(指が、上向いてひん曲がって、象のように腫れあがったまま、10日あまり、お医者さん捜しをしたのです)
(この時も、車の運転ができないから〜と、近くで捜していましたから)

この整形外科医も、64歳。非常勤。
いろいろ・・・
私を診てくれていたように、いろいろ医者のルールを破って、患者さんを受け入れてくれていたから・・・(かな?)
今は、病院の中での扱いが変わってしまっています。
今回、また救急車騒動を起こして、この病院に運ばれたのだけど、
私を診てくれている整形の医師はお休みの日で、
内科の院長が出てらして・・・(知らない間に、内科の病院に変わっちゃってました)
「あなたを泊めたら、クビが飛ぶから〜」と帰されてしまいました。

あちこち病院に電話をして、全滅だったから、
以前、内科で断られた病院の・・・断られた時には居らっしゃらなかった医師を目指して行って・・・
19年間、誰も教えてくれなかった『悪性黒色腫の患者は、専門医が居る病院じゃなければ診てはいけない』
決まっていることを教えてもらえました。

初めて、そういう決まりがあるコトを知りました。(早く、気付けよ!!って感じですが^_^;)
ってか、誰か、断る時に、教えてくれてもいいものだと思うけど。
(診察室に入って断られても、初診料と診察料は徴収されます)
(ホントは、主治医が教えてくれるべきなのですよねぇ)

で、悪性黒色腫の専門医が居る病院(大病院です)は、
いずれも、電話では、「紹介状がないと診れません」と、断られています。


これから、改ざんカルテのコピーを持って、直接、行ってみようと思っています。
医師会や、行政の福祉課の方達にも、相談に乗ってもらっています。
「直接、行ってみて、ダメだったら、また連絡ください」と言ってもらえています。
(本当に、可哀想に〜って対応して下さいます。でも、強制できる機関がないのだそうです)

私の右足首・・・背骨・腰がズレているから、血流が悪くなって腐ってきていると思っていたのだけど、
3年余り頑張って・ズレを完全に戻してみて・・・(戻せましたvv)
ズレのせいではないことが判りました。
(ズレが戻ってからの方が、右足首の痺れが酷くなっています)

なんかね。。
ここで負けたら、主治医を恨んでしまいそうで・・・
(実際、カルテを見た2日間は、憎悪感いっぱいでした)

でも、
恨みたくないから。


NATSUKOを作ってきて良かったと、つくづく思っています。

まだ私自身、19年間の整理がつかなくて、トッチャラかった文章だと思いますが、
こうやって、書ける場所があること・・・救われているように思います。


春です。
次の一歩を踏み出します。

2010年 4月 6日7:00記


後日・記

4月6日 夕方ギリギリで、病院・相談室に行って、
漏れている血液検査のコピーを受け取ってきました。

前日、電話をかけて「血液検査が漏れているのだけど」と言うと、
事務の女性は、「(パソコン上で)外来で渡したことになっているモノは抜きました」とのこと。

確かに、外来で血液検査のコピーは受け取ってきているけれど、
関節リウマチの検査なんて受けたコトないし、
糖尿病なんて、そんな数値を見たコトもないから〜との主旨を伝え、

「ダブっても構わないので、血液検査のコピーを下さい」とお願いしておきました。

ありました!!
外来で渡してもらっていたのは、1枚だけ。
3枚・・・他に検査ありました。(主治医は、私に渡してあるように、パソコンに記録してあったようです)

関節リウマチの診断は、『リウマノイド因子』って検査で、
10以下が基準値で、私の数値は、6未満でした。

ついでに、糖尿病は、『HbA1c』が、5.4で、糖尿病にされちゃっていました。(基準値は、5.8未満)


主治医に、私の右足首の関節が赤紫になっていることを見せた3年前から、
勝手に関節リウマチの検査をして、私に『関節リウマチ』と病名をつけていました。

その後、大学病院等を回って、
私の足の痺れ・色の変化等、「関節リウマチや糖尿病の可能性がありますか?」と尋ねてみて、
「糖尿病や関節リウマチで、右足首だけなんて、有り得ない!!」と、
『疑う』コトさえも無いことを確認しました。

・・・
これは、想像の域だけど、

改ざんだけでは済まなくて、
私に、『症状』があることは、事実だから・・・

その症状に、『病名』をつけるべく、勝手に、私の血を取って、
まったくの正常値であるにも関わらず、『診断』を下していたようです。

改ざんだけでは足りなくて、
苦しんでいる私から、血を抜いて、私のお金を使って(&健康保険組合のお金も)、
コソコソ検査をして、病名をつけてしまっていたようです。

糖尿病も、関節リウマチって病名をつけておけば、私の足が腐ってきても、
『手術のせい?』と、疑われないとでも、思っていたのでしょうか。。。?

改ざんだけではなかったようです。

主治医が退官する前に、カルテ開示(診療情報提供)をして、
本当に良かった^^


あれから、月日が経って、気持ちの整理もついても・・・
「どうして?」の気持ちの持って行き場がないまま…

カルテ開示を請求した時、事務の女の子への伝言で

「開示なんて言わないで、ちゃんと説明するから、一度、おいで^^」

って先生の言葉が、ずっと、残っていました。

そうすれば、先生も開き直る必要はなかったのだろうか〜なんて。

開示をしたことは後悔していないけれど・・・

こんな終わり方をしなければいけない人間関係だったのかと、やっぱり哀しい気持ちは消えません。

先生のことを調べるうち・・・国立大学病院の臨床教授だけではなく、
皮膚科悪性腫瘍指導専門医にもなってらっしゃることを知りました。

悪性腫瘍指導専門医・・・

一体、どういうもの??を調べていくうちに、
認定基準や、試験や、諸々、かなり難関をくぐり抜けなければなれないことを知りました。

認定を受ける為に、難しい試験があるのは当然ですが、
実績の中に、誤診があってはならないことを発見しました。

誤診・・・
最初のメラノーマの診断と、治療に違い・狂い・間違いがあっては、誤診と扱われるコトに、
ナンの異例の余地もないようです。

つまり・・・
もしかしたら、
私が、抗がん剤を辞めて生きているコト・・・先生の認定の妨げになったのですよね
なんて、

自分の出世の為に??

否、主治医は、自分の下で、もう一人、指導専門医を育てています。
育てたかった??

その為に、私のコト・・・誤診ではない!とする必要があったのですよね??

つまり、
制度のせい!

私のような異例があることを、受け入れられる制度がないことが問題なのですよね。

こうやって、医療以外で『癌が治る』は、消されていっているのかな。

「こんなことして、治った人が居るよ〜」なんて軽く言える立場にいなかったのですよね。

制度のせい!!と、主治医への気持ちは終止符を打つことにします。

2010年11月5日