私が実際に受けた『?』医療


「お医者様は神様です」
・・・の如く、医師に接している人達を見ると「私って、ひねくれているなぁ〜」と
つくづく、自分の天邪鬼さを、思い知らされます。


私は、小さい頃から、よく祖父(母方)のトコロで、生活していたのですが・・・
その祖父の口癖が、
「世の中、『先生』と呼ばれる人間ほど、バカなモノは居ない」でした。
教師・弁護士・医者。。。だそう。
祖父だって、一応、政治家の端くれだったし、息子は先生と呼ばれる人ばかりだったのに・・・


その祖父が、言っていた言葉に
「体を切るとなったら、病院3軒回れ!!」が、ありました。
就学前に聞いた言葉でしたが、三つ子の魂百まで。。。ずっと私の考えの基本になっています。

私が産まれる前に、
母が偽腸チフスになって総合病院で「手の施しようがない」と言われた時、
祖父は、自分で病院を捜し、個人病院だったけれど、
そこの医者が「保証はできないけれど、ひとつだけ手がある」と言ってくれ。。。
息も絶え絶えの母を運び、治療をしてもらい、息を繋いだそうです。


そんな私が、小さな頃から、見てきた「おかしいぞぉ〜」の医療体験です。


小学6年生の時の風邪


高校生の時の風邪


誘発剤使用の長男出産

長男の除去食

日赤病院での次男出産


日赤病院での乳房腫瘍切除術


日赤病院での髄膜炎検査


次男の薬物アレルギー



そして。。。
メラノーマになってからは
ひたすら、診療拒否に合ってます。
「罹っている病院に行って下さい」
「うちで死なれても困るから」と。

歯医者でさえも・・・
前歯をぶつけ、「痛い」と言って行ったら。。。
何の断りもなく、前歯2本を2.3ミリ削られてしまいました(薬を出すのが怖かったとか)
大好きだった げっし歯と あっけなく決別させられました。
(前歯4本のうち、真ん中の2本を、短くされてしまったのです)

県外のメラノーマで罹っている病院まで行ってられない時もあります。。。
セカンド・オピニオンを作っておく必要があると思い
癌検も兼ねて行った産婦人科病院で、依頼して、受けてもらえましたが・・・
体調が悪く、薬を出してくれたものの、薬を飲み始めたら高熱と胃痛が起こり
いざ電話をすると
「熱がひいてから来て下さい」と、看護師ではなく、医師に直接、断られたこともあります。
「苦しいんですけど・・・・・」と懇願しても
「うちは、産科の患者さんが居ますから!」と切られてしまい・・・
そのまま、薬を飲んで、熱が下がるのを待っている間に、胃痙攣が起き・・・
結局、県外のメラノーマで罹っている病院に運ばれた時には、意識もなくなっていました。
(20日ほどの入院になってしまいました)
(救急車では県外までは運んでもらえないので、苦労しました)

4年半前、足の指を複雑骨折した時
手術を引き受けてくれる病院を捜すのが、また一苦労でした。
(下半身麻酔が危険だそうで)
市外の病院で、筋肉弛緩剤大量投与+局所麻酔での手術をしてくれる医師を見つけ
実際に手術を受けれたのは、骨折してから2週間以上経ってからでした。

2年前の夏・・・
スーパーのレジで、超デブ女性が突進してきて、
デブとレジ台の間に挟まれ、腰椎捻挫・骨盤打撲・右背(肘鉄による)打撲。。。で
下半身麻痺で救急車で市民病院に運ばれた時も、
なんの治療もしてもらえず、検査も最初のレントゲンだけで・・・
3日間、寝たきりでしたが。。。 車椅子に乗れるようになり、
歩行器を使って歩行訓練を始めたら足が腫れ上がったのに・・・
担当が整形外科部長だったのですが、部長が学会で留守の3日間は
湿布さえも出してもらえませんでした。。。
(血液検査自体を拒否されていたのに「血液検査をしてないから湿布も出せない」看護婦長が言うのです)
結局、子供に家から、タクシーに乗って、家の買い置きの湿布を持ってきてもらいました。
その市民病院には、理学療法もリハビリ設備もあるのに・・・
私は、一切、拒否されていました。
(だから、自分でマッサージとか関節が固まらないように、自分の手で、曲げ伸ばしをしていました)
松葉杖になれたら、即、退院して、癌で罹っている病院に行きました。
あっ  そうそう♪♪
その時、市民病院で出してもらえた薬が、メチコバール(ビタミンB12)でした。
メラノーマだから。。。と、副作用のない薬が『メチコバール』でした(*^^)v
(つまり安全な薬はビタミン剤だと医師は知っているのですよね)

はぁ〜
だから、健康を自分でつくり続けること・・・私には、必然なのですネ