病気と知能と精神


とっても病気の方には失礼な内容になり兼ねないので慎重に書きたいと思いますが。

でも、やっぱりキツイ表現になると思います。
ただ・・・
自分自身を振り返って書いているコトが大前提だというコトをご承知おき下さい。


病気をつくったのは自分を書いています。
このことに気付けたコトが、私の命拾いでした。
・・・つまり、いつまでも「誰かのせい!」「誰かぁ〜なんとか、して〜」と
思っている間は、生きている方向は変わらない! ようです。


病気をつくったのは自分・・・なんて認めるコト。。
腹をくくらないとできません。
「言い訳」に執着している間は、堂々巡り。
重い病気になればなるほど、被害者意識への執着が手離せないと思う、
し、
子供の病気だなんて、特に、悲劇のヒロインになってしまう。


私の子供・・・特に3番目は、本当に体の弱い子でした。
体中の粘膜が爛れていて、
産まれてきた時は、先ず、目。
涙嚢が爛れているらしく、朝、目が開けられない。
粘膜が正常につくれないから、目やにが異常に多く、
朝、起きると・・・ガーゼを濡らして目にあて、目やにを湿らせて外し
やっと「おはよう〜^^」と目を開けて、挨拶ができました。
そして
ちょっと泣くと、すぐ吐く。
風邪気味程度で、すぐ下痢。しかも、頻繁に。
本当の風邪になると、血便もしょっちゅうでした。
生後半年、クリスマス前から熱を出し、そのまま髄膜炎。
初めてのお正月は、日赤の救急外来から小児科に入院で
点滴の管に繋がれて迎えました。
ハイハイが始まり、立つようになり。。。
ちょっとヨロけて手をつくと、即、手の関節が抜ける。
何度、整形・整体に通ったことでしょう。
つまり、次男は、眼科・小児科・整形・整体・整骨通いの子でした。
で、
セフェム系の抗生物質のアレルギーがあったので、
名古屋から三重県に引っ越してからは、
三重県で診てもらえる病院がなく、
次男の為に、県外まで病院通いをしていました。
泣くと吐く。体調が悪いと下痢・血便。。。
その頃は病名はなかったですけど、
潰瘍性大腸炎をイメージしてもらえば、近いと思います。
クローン病でしょうか。。


・・・と、病気がどんなに大変だったかを書くコトって
昔は、潜在意識に、悲劇のヒロイン意識がありました。
「私って可哀想でしょう〜 ウチの子って可哀想でしょう〜」ってね。
でも、
病気は自分が作ったものだ!って判ってしまうと、
子供の病気ってのは、私・母親の責任で。。
次男の体の悪さを書くコトが、私自身の『恥』を書いているコトを今は自覚できますvv

先ずはネ。。
子供が病気で産まれたら、自分(母親)自身の、その子を妊娠する迄を
振り返るコトが重要です。
7歳までの子供の病気は、母親の『食』です。使ってきた薬も識る必要があります。
嫌いで食べてこなかったモノがあるなら、先ずは、それがヒントになるでしょう。

病気であるコトが可哀想だと扱うコトに何の意味があるのだろう?と思います。
先ず、学生の間。
昔は「少々、熱があっても、学校を休んだコトはありませんでした」
って、自慢できるコトでしたよね。
でも、最近は
「熱がある子を休ませなくて、ウチの子に移したら、どうするの!!
無責任よね!!」なんて
責任問題にされてしまいますよね。

社会に出てからでも、朝、熱があって会社に電話をして
「あのぉ 熱が8度あるのですけど・・・」とだけ言うと
自動的に「あっ それじゃあ、お休みですね^^」と相手が言ってくれます。
熱が8度あると、お仕事って休むモノですか??
でも、その後、電話があり
「先日、応募されたクイズに当選されましたvv
つきましては、本日、東京・事務所まで取りに来て頂けるなら
100万円、差し上げますvv」なんて言われたら、
会社を休む熱でも、飛んで行きますよね。

そんなモンですよね。


病気をつくっていく時・・・病気をつくり続けている時って、
頭も回っていないように思います。
つまり、知能が落ちているってことね。
この場合、IQではなく、EQの方だと思いますが。
病人と、使えない医者って、このEQが低いように思います。
この両者が手を組んでいても、『健康・健全』な会話が成立しません。

私は、今は検査だけだけど、病院に通っていて。。
4〜5ヶ月に一度なので、予約が取れず、長〜い時間、待ち合い室や
喫茶ルームに行って時間を潰しているのですが、
ホント・・・病人の会話って、まったく視野が狭く、
しかも一方方向からの観方しかしていないコトが特徴のように聴こえます。
過去の自分が、全て受け身・被害者の思考しかできないまま
病気に向っていたから、余計に観えてしまうのかもしれません。


先日・・・病院の食堂で、隣のテーブルでの光景です。
中年の男性二人が向かい合って、食事をしていたのですが、
一人が病人で、一人が付き添いのようでした。
健・男「おい! 残すな! それも食べろ!」
病・男「うぅぅぅん  俺、味覚障害やでぇぇぇ・・・」
健・男「好き嫌いしとるでや!! おい! それも残すンか!!」
病・男「うぅぅん これ食べると気持ち悪なるんやぁぁ・・・」
健・男「おい! よう噛めや!! 飲むな! 噛んで食べろや!」
病・男「うぅぅぅん  噛んどったら、味が判るやろ。。」
。。。
「私だけが思っているんじゃないんだぁ〜♪」と
嬉しく、その光景を見ていました。
私があまりにも、笑って見ているので、その健康な人と目が合ってしまったのですが、
苦笑いして、微笑み合えましたvv

ホント、今って、味覚障害まで、誰かのせいにしている人が居るンですね。
味覚障害は、偏食・・・亜鉛不足でなります。
味覚障害になってて、免疫が落ちてるってコトは、知能も落ちている
思った方がいいです。
不足している間は、理解できません
この助けになるのは、素直さしかないようです。
謙虚さかな。
自分の人生に、どれだけ、ひたむきになるか!しか
脱出方法はないのじゃないかな。


つまりね。
病気になってて、知能も落ちてて、精神が捻くれてるってのは
比例しています。 殆どね。
何処かで気付いて、素直になり、視点を変え、視野を広げ、頭を使い・・・
ってしないと、病気は治せない!ってことだと思います。


ゲートボールの後とかの、健康なおじいちゃん・おばあちゃん達の
話を聞いていると、「ありがたい」って言葉がヨク耳に残ります。
感謝が多い人が多いように思います。
そして、
病院で、病気のおじいちゃん・おばあちゃんの会話を聞いていると
ってか、病人の会話を聞いていると、愚痴ばかりが耳につきます。
自分の不幸自慢が、病院の待合室の通常の会話のようです。


私自身・・・病気に向っていた頃は、悲劇のヒロインを演じていたように思います。
世界中で自分が一番、可哀想な人間で
「あなたはいいわよねぇ〜」なんて妬んでいたような。。
人にしてもらうコトを、当然のように扱っている間は、
健康には、微笑んでもらえないように思います。

「人にしてもらうコト」・・・そのコトを
「人に教えてもらっている」と自発的に受け取るコトができた時、
「次は、自分でするのだvv」と悟るコトができます。

この『悟った時』が、健康に向う・方向を変える瞬間のようです。
「少しずつやっていきます」なんて言っている人は気付いてないようです。

このHPの裏でメールの相談も受けていますが、
少しのアドバイスをさせて頂くだけで、
次々に、ご自分から行動を起こされる方は、
その行動に、そのまま『健康』がついてきてらっしゃいます。
行動を起こされた上で、私のHPに書いてあるコトの確認をしてらっしゃいます。
反対に、
何度も説明しても、そのメールだけで、
そのメールも半分も読みもしてなくて、
それでも、相談だけはしてらして・・・
お気の毒だけど、そういう方って、病気を繰り返されてます。
私は、理解できるように☆とお返事をさせて頂いています。
でも
依存心の塊りって方は、『答え』を求めてらっしゃるのですね。

何故か。。。そういう依存心の方って、男の方が多いコトに
私は、「ご時勢かなぁ〜」とガッカリしています。


体が悪いなら、頭を使え!
頭が悪いなら、心を使え!

このどれかを使えば、自分の人生の方向は変えられる筈です。


夜、寝る前に、その日に口にした愚痴の数と、感謝の数を数えてみて下さい。
愚痴の数の倍は、感謝の言葉を言ってから、眠りにつくようにしましょう〜^^

付け加えておかなければいけないコトがあります。
こういう考え方は、40歳前後以降の人。
今の30歳代前半くらいまでの人は、そういう『食』・『精神』の常識が
根底から引っ繰り返ってしまってからの日本の世代なので、
ヨイ見本も見たコトがないと思います。
今、実際に病気の子供を育てている若いママ達は途方に暮れているばかりだと思います。
そういうママへの責めになりませんコトを望んでいます。
そういうママ達が、何かの抜け道を見つける手懸りになれれば〜と望んでいます。


私が伝えたいコトは、
自分が癌を克服した自慢話ではなく
私が気付けたコトで、自分の子供3人が健康になれたコトです。


夏子の雑学